昭和49年08月15日 前夜祭
夏の祈願祭を明日に控えさして頂いて、今度の祈願祭はいろいろな意味で ? なりそうです。第一御祝詞一つ奏上さして頂きまして ? 親先生が ? させた御祝詞をそのまま言うなら、実もなければ実もない、 ? 今度の御大祭には言うならば、現在の合楽の信心、現在合楽が願って居るところの願いに立っての、御祝詞を初めて作成させて頂いてと言うので御座いますから、随分新しい今後の合楽の生き方を、指し示す様な意味での祈願祭になりそうです。
今日も朝から、明日の御大祭にお参りが出来ないからと言うので、お参りをされる三、四人の連れ立ってお参りが今日は終始続いておりました。小倉それから熊本、大分それから、午後からは東京から二人、広島からこれは勿論、明日の御大祭を拝むために、まぁ続続として集まって来る分けで御座います。遠方の方達が広島 ? と言う様に集まって来るのでございます。又丁度午後から、松栄会方達の方針によって御神前の清掃が皆さん全部白衣に身を固められて、そして真心込めての清掃があって居る。
こちらでは今申します様に、ずうっと明日の御大祭をと言う様な ? お参りになる方達が在りますけれども、私今日感じたんですけれども、まぁ言うなら久振りの方達が参って来る、しかも一家を上げてとか隣を誘うてとか、何ですけれどもこれと言うて現在合楽の信心がこうだと言って、一口には言えませんから、最近の信心を語って聞かせる事が出来ない雰囲気で御座います。
もう余りにも今までの信心と、かけ離れて参りました。ですからもう本当にあのう、現在そうです、二三日ももうあのうお参りしないと、もうちょっと二三日前からお勉強をしなければ、つじつまが合わない位な、言うならば信心の進み方と言うか、進め方をもっての教導をさせて頂いておる事を、今日改めてそう言う、言うならば明日の御祭りが盛り上がりと言うか、そう言う一つの御比礼を感じます方達の、お参りにあったにも拘らずです、そう言う感じでした。
明日は言うなら時間を掛けて、本当に今後の合楽の信心の進め方、又合楽に御縁を頂いておる信心信奉者の、これからの信心のあり方と言うものをです、もう一つ時間を掛けて、言うならば聞いて頂きたいと言う風に思わして貰います。それから思いますのに、お互いの信心が少しずれたら、もうやはり御かげには成りませんです。これはやっぱり、このずれるのですから、どうでも合楽の信心にしっかり肉迫したね。信心例えば今日は丁度午後の4時の御祈念に合わせて。
椛目の田中さん所の謝恩祭を仕えてくれと言う事で御かげを頂きました。 ? 一番に頂きました事は親が喜ぶと言う事を頂きました。あちらの今の楽長の両親が熱心な手厚い信心を致して居りました。しかも孫子、ひ孫達までが集まって今日、あの謝恩の御礼の御祭りをさして頂く程しに、やっぱ信心の成長されて続いて居るし、段々御かげを頂いて居ると言う事実を、神様に御礼を申し上げて居る様を霊達が、例えば見聞きしながら喜んで居ると言う意味の事であると思うて。
私は今日始めて御祭り半ばに、御祈念を終わって立たせて頂いて、改めて霊神様にその事をお礼を申さして貰うて、又返って御祭りをすると言った様な変わった御祭りをさして貰いました。今例えば合楽で言われて居ります、合楽の言わば宣伝と言う様な言葉を使って、もう盛んに、より他に適切な言葉が無いからと言うて、皆さんにお話をして居りましたのがです、合楽し現と言う言葉を持って皆さんに聞いて頂きました。
示し現すと言う事、示現と言う事は、先日十三日会の時に私がそれを申し出したら、文男先生が大きな字引を持って来て、し現と言う意味のことを私そのう、私は只示す現す、言うならば合楽を示す現す、合楽を示す現すと言う事は合楽教会を現すと言う様な意味ではなくて、いわゆる極楽のもう一つ向こうにある信心を言わば世に問うて行こう、広めて行こうと言う信心なのです。だから合楽を示し現すと言う意味で聞いて頂いとりましたら、し現と言うのは「神仏が不思議な働きを、いわゆる霊験を現す。
示し現す事を示現と言う」と説明がしてあります。示し現すそれを又私はし現と言いよったけれども、あれはし現では無い、示現と読むんだと言う事で御座いましす。ですから神様が、そう言う不思議な働きを現すと言う事を、ですから例えば、今その事の為に、いよいよ本気で専念して居られる毎日、おかげの泉を五冊、十冊づつ持って出られる方が有ります。もう汽車の中でも、電車の中でも、それを本当に御かげを頂いております。お導きが出けると言うのじゃ無いです。
もう兎に角、その隣の人なら、隣の人が本気で話を聞いて下さって、帰りには又お会いしましょうと言った様な働きになっておると言う事です、そしてその方達がです、これは又不思議な御かげに触れ始めておると言う事で御座います。私は親が喜ぶからと言う事がです、その様に御かげに直結するものであると言う事を思わして頂いて、合楽の信奉者全部がです、ぐづぐづしては居られん、本気で合楽示現活動、そう言う一つの運動が展開されて居るのですから、それに便乗させて貰うての御かげ。
そこに神様も喜んで下さり、私共も今まで、どうにも出来なかった、御かげが動いて来る程しの、御かげになって来る、と言う事を感じました。それでもそう次々として、言うならば、ぞくぞくとしてお参りを遠方からして来る。久し振りで只あゝ久し振りに来た、よう参りなったな、と言うだけであって、今合楽がこう言う信心になっていきょると、まあチョット一口、二口で説明出ける事じゃないと言う様に、ずれを感じたらどうにも出けないものを感じます。
どうぞ合楽の信心に遅れを取らない様に、乗り遅れない様に私が願い、明日の祈願祭には、いわゆる桂先生がこのお祭りを、御本部教会の御造営にと言う事から思い立たれて九州中に同じ手続きの教会にこの大祈願祭と言うのが催される様になった。それに五穀豊穣、諸事繁盛と言うタイトルの元に、そう言う祈願がなされた。ところが最近そう言うお祭りが段々崩れて来た。
それはどう言う事かと言うと善導寺にお参りさせて頂いて、御祝詞聞かして頂きながら、感じた事ですけれども、六月の立教祈念式のお祭りが主になって居る、今夏の御大祭はだから、だから私共ではそれは全然関係が無いものとして、本当にあの祈願祭、しかもそれは何処までも、今だ攻める攻めて行くのが祈願祭。六月三十日の例えば、祈願祭はネ、例えばあの身体を守って貰うとか、自動車事故が無い様に守って頂くと言う守りと言う事のお祭りに対する所の、その八月の十六日の祈願祭はね。
それでは無くて、いよいよ、五穀豊穣の大みかげを頂きます様に、諸事大繁盛の御かげを頂きます様に、それはこう言う御用をさせて頂く事の為に、どうでも御かげを受けなければならんと言う祈願祭なのですから、その祈願祭を本当にそう言う、桂先生の御精神をです、いわば中心としてからの大祈願祭になるので御座いますから、皆様もそう言う願いを持って明日の御祭りに臨んで頂きたいと思うので御座います。
どうぞ。